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言いたいことが言えない子


浦和市立沼影小学校に2年生の一学期まで通っていました。

同じ社宅なのか、同じ登校班だったか忘れたけれど、小柄で強い口調で話す女の子がいて、私はその子が苦手でいつも泣いて帰ってきていました。

幼稚園の時は一番の仲良しのむっちゃんがいたけれど、そのむっちゃんが引っ越してしまい、そのあとほかの友達とはむっちゃんのような仲良しにはなりませんでした。

小学校になってからもそれは続いていたかな。

いまではこんなこと言うとみんなに信じられないと笑われるけど、気が弱くていいたいことが言えない子でした。いじわるなことを言われても何も言い返せないし。私の聞こえるところで私の悪口言われるのがいやだった。だから給食の時間がつらくて食べようとしても喉に通りませんでした。食べているのを見られているのが嫌でしたし、みんなと一緒に食べていても、言いたいことを言えないで我慢していたので全然楽しくなかったです。そんなこともあり担任の先生(女性のベテランの先生)にはずいぶんと心配かけていました。

言いたいことを言えない子でした。

いつも笑顔だけどみんなの中心にはいない。みんなの中心にいる子が羨ましかったのかな。そうやって人と自分を比べてみていました。スポーツも大嫌いで逆上がりもかけっこも苦手でした。内弁慶で家に帰ってきて弟や母にあたっていました。

家で発散して外に行くと何もしゃべれないで泣いて帰ってきていました。そんなときには母は私の気持ちを聞いてくれて理解してくれていました。安心で居られるのは家の中だけでした。家では母がちゃんと安心の場を作ってくれていたと思います。母は私のことを理解してくれているというのを感じられていました。

でも毎朝学校に行くのが憂鬱で、なかなか起きることができませんでした。

起きても食べない私にスープだけでも食べていきなさいと母がよくいってくれていました。それで、朝の登校班にも時間に間に合わずひとりでトコトコ学校に向かっていました。母はずいぶん心配していたと思います。小学校の2年までのいい思い出はあんまりないかな。そのころ父は出張ばかりでほとんど家にいなかったな。

いま改めて振り返ってみると、性格って環境で変わるんだと思いました。

この後、私は積極的に自分の意見を出せるようになるのですが、それは環境ががらっと変わったからだと思います。

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