新しい環境で
小学校4年生の秋から、アメリカ、メリーランド州のロックビルに引っ越しました。
アメリカにいるときはとにかく「あなたはどう思う?」、「あなたは?」と聞いてくるので、それまでは言いたいことを言えないタイプだったんだけれど、そうやって聞かれて思っていることを言葉に出すことや感じていることを伝えようとすることを訓練されました。
ちゃんと確認してくれる、自分の存在を認めてくれるような気持ちになりました。Yes、Noも自分がどう思っているか考えないと伝えられません。なので、訓練が必要だと思います。
それから学校で印象的だった友達は、同じクラスの中に脳性まひで手足が不自由なクラスメイトです。
ヘルメットをかぶっていて、常に歩行器のようなもので動いていましたが、普通の子たちとなんら変わらず授業を受けたり、一緒に遊んだりしていました。彼とドッチボールやお絵かきして遊んだことをおぼえています。
ほかにもクラスの中にはヨーロッパ、アジア、南米からの子どもたちがいました。そのように多様性にあふれる環境でした。寄付活動もしたことがあります。クラスの子どもたちと一緒に募金活動をしたことがありました。近所をまわったのですが、そのときも大人の人が協力して小銭をくれました。なかには小切手で1ドルと書いてくれたりしました。大人たちが暖かく接してくれて守られている感じがありました。
また、クラスに優秀で頭の良い子がたくさんいて驚きました。しかもその子たちは頭が良いだけでなく、優しくて正直で正義感があって誰にでも共感を持って接してくれるのです。頭が良い子はいままでも見たことがありましたが、それでいて思いやりがあって優しくて人気がある子たちに初めて出会いました。そういう子たちに刺激を受けて、私もたくさん勉強しました。そういう子達と仲良くなってその子の魅力をもっと知ろうとしました。
そんな子どもたちがいるアメリカって豊かなところだなという感じを受けていました。
どんな人も受け入れてくれるような懐の深さを感じていました。
いま思うと、私は、アメリカの良い時代の良い場所にいたのだと思います。
逆に、同じアメリカでも、別の時代の別の場所だったら、違う印象を持っていたでしょうし、違う価値観を持ったかもしれません。つまり、人は自分の経験だけで、その国の評価判断をしているということだと思います。
良い経験をした国は好きになりますが、良くない経験をした国は嫌いになります。でも、その国はずっと一定ではないですし、人々も地域や世代によって印象が変わります。
また、いつどこにいるのか、ということは、特に子どもの頃はなかなか自分では選択できることではないのですが、「いつどういう時代のどこにいたか」というのは、その人の価値観や考え方に大きな影響を与えると思います。
幼いころに育った地域や環境、多感な時期を過ごす学校もそうだし、職場もそうだと思います。「刷り込み」とよく言われますが、特に若いころは強烈な影響を受けてしまうと思います。
だから、親として、子どもを育てる環境や学校を選ぶこと、また、自分で選択できるのであれば、仕事をする場所や環境を選ぶことは、とても大事なことだと私は思います。
そういえば、息子はよく「お寺がある町は落ち着く」といいます。息子が育ったところはお寺が多い地域なので、そういう思いこみが刷り込まれているのだと思います。