また違う環境へ
6年生の夏休みになって日本に戻ることになりました。
川崎市東百合丘の父方の祖父母の家に住むことになりましたが、父はそのまま残り、私と弟と母の3人だけで帰ることになったのです。
ここから私の性格も変わってきました。今まで自分のなかに眠っていたものが出てきた感じですね。
祖父母の家は平屋の広い家で私たちはそのうち一部屋をもらって過ごしていましたが、毎日顔を合わせるようになって嫁姑問題が起こり始めました。母は毎日祖母に怒られてメソメソ泣いていました。祖母はものすごくきつい人で、口が悪い人だったのです。祖父は逆に優しい人なのだけれど何も言いません。私と弟は孫なので許されている感じでしたけど、祖母の嫌みが嫁である母に向かっていったので、家の中がまるで戦争状態でした。
あるとき母親が夕食をすき焼きにしようと支度をしていたら、いいお肉があったのですが少し足りなかったので安いお肉も付け足していました。母は私たちに、「おじいちゃん、おばあちゃんは歯も悪いし、いいお肉が柔らかいからそれをあげようね。玲子ちゃんたちは高くないお肉のほうで我慢してね。」といって私もそうだねといって納得していました。ところが準備ができて食べようとしたら、祖母が台所のお肉を見て、「私たちに安いお肉を食べさせようとしてる!」と誤解をしてすごい剣幕で怒ったのです。それで母は泣き出して、部屋に戻っていってしまいました。そのあと食卓がシーンとなってしまいました。
それを目の当たりにして私は、「おばあちゃん、ふざけんなよ!」と思っておばあちゃんに怒りました。おばあちゃんが何か怒鳴りながら私たちの部屋に入ってこようとしても、「入ってくんな!」といって私はドアをバタン!と足で蹴飛ばして閉めました。
このころ私は学校でもいじめられていました。男の子たちに「アメリカ帰りだ」とかとわけのわからないことを言われました。当
時は帰国子女がいないときだったので珍しかったのでしょう。女の子たちは優しかったけど、男の子たちにいじめられました。給食も食べられなくなっていましたし、友達がちゃんとできなかったのです。
その時は学校で嫌な気持ちで過ごすことが多く、家では落ち着かない。そんな感じでした。
家では祖母に言い返せるのは私だけだったので一人ぼっちで戦っている気持ちでした。
そうやって私の中の気性の激しさが表に出てきました。もしかしたら祖母のDNAが私の中にあるのかもしれません。
だから私が祖母のようになるのかもと思ったら心配になります。もちろん祖母が機嫌良いときは気が合うのだけど、機嫌が悪いともう大変でした。いままで海外に住んでいたので、あまり祖父母と会う機会も少なかったし、会ってもお小遣いもらってそれだけの関係だったので、こんな風になるとは想定外でした。
私は孫だったのでかわいがられたほうだと思いますが、その頃は12歳の私が母と弟を守らなくちゃって思って過ごしていました。