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12歳の私が見た日本の印象


12歳のとき、アメリカの多様性を受け入れる豊かさを経験してきたこともあり、帰国してから日本の環境に全く慣れませんでした。閉鎖的なところが強く感じられ、人と違うことがあるとすぐにいじめられてしまいます。

クラスの中にはシカトされているような人もいました。私はそこまでひどいいじめではありませんでしたが排他的だと思いました。帰国子女であることを隠している子もいました。

その思い悩んだ気持ちをどうにか表現したくて、図書館で友情に関して書いてある小説を借り、感想文を書きこっそり先生に渡してました。先生には私の気持ちを分かってほしかったし、それが唯一自分の気持ちを表現できる手段だと思ったのでしょう。そのとき自分の気持ちを表現するのは文章しかないと思って一生懸命書きました。それまではあまり文章力はなかったけれど、結果としてそのときに上達したんだと思っています。

しかし先生はそれを読んで、「りょうこちゃん、そんな小さいことでくよくよしないでね」と言いました。私にとっては全然小さなことではないのに私にとってはすっごく大きなことなのに全然分かってくれなくて寂しいと思いました。先生にがっかりしたのは初めてだったと思います。

そのような体験が重なり日本が嫌いになっていきました。

もともと海外から日本を見ていてると、あまりいい印象ではありませんでした。80年代に流行ったファッションやスタイルを見てもみんなアメリカの真似ばかりで、日本人としてのオリジナリティが見られなくて、帰国するたびに日本にがっかりしていました。

逆に海外にいる日本人は日本人であるがゆえにすごく肩身の狭い思いをしていました。ハワイに行ってパールハーバーの映画を見せられたとき、日曜日の昼間に何の罪もない民間人がいきなり日本の爆撃機に襲撃するような卑怯なことしていたことを知りました。あの映画を見たら、日本人は卑怯だと思われると思います。

そういえば、韓国に住んでいるときに弟と二人で公園で遊んでいると、韓国人の子供に石を投げられたことがありました。なんで?と母に聞いてみたけど、「あの子たちも大人になると分かるようになるわよ」と言われました。そのとき理由はわかりませんでしたが、日本人が嫌われているのは肌で感じました。

そんなことを感じたので、確かに日本も広島、長崎に原爆を落とされましたが、日本人だって他国にひどいことしているのに、それを棚上げして被害者意識だけを強烈に持っているような印象を幼心に感じていてました。

物事は多面的です。立場が違えば、見方が全く変わります。どちらも間違っているかもしれないし、どちらも正しいかもしれません。

しかし、相手の立場になることは非常に難しいです。

このようなコンフリクトは日常でもしょっちゅう起きています。自分の立場に固執すると、相手の視点が見えなくなってしまい、本来の目的を見失ってしまいます。

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