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愛するということ

「愛は誰かに影響されて生まれるものではなく、自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである」by フロム

友人にも指摘されたのですが、

この2か月間、私は「自分に戻る旅」をしていました。

私は、「自分を愛せない人」を愛しました。 私は彼を通して、その世界を、その闇を見ようとしました。 自分が見たこともない世界に対して、好奇心を持って見守ってきました。 自分が持っているものを惜しみなく与えました。

同時に私は、「自分を愛すること」も実践していました。

自分が好きなことは、どんなに文句を言われても、脅されても、辞めませんでした。

私は、自分を愛することができるし、他人を愛することも、それ以外の人たちすべてを愛することができる人です。

だけど、彼は、私の愛を十分受け取れず、自分で自分を愛することもできなくて、自ら不幸であり続け、さらに、そのことを私のせいにしていたのです。

そのような人と深い関係をつくっているときはしんどかったけど、私は根本的には変わっていない。

彼のことは全く憎んでいない。

むしろ、私は違う方法で愛し続けるだろう。

結果的にうまく行かなかったけど、自分が間違っていたと思わない。

私は何も失っていないし、自分を満たすこと、そして、そのやり方を知っている。

「自分自身の個性を尊重し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することと、不可分の関係であるのだ」。by フロム

今ようやく、私は「私」に戻れた。

「利己主義と自己愛とは、同じどころか、まったく正反対である。 利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。

~略~ そのおかげで、彼は空虚感と欲求不満から抜け出すことができない。当然ながら彼は不幸で、人生から満足をつかみとろうと必死にもがくが、自分で自分の邪魔をしている。 ~略~ フロイトによれば、利己的な人間はナルシシズム傾向が強く、いわば自分の愛を他人から引き揚げてしまい、自分自身に向けている。たしかに利己的な人は他人を愛することができないが、同時に、自分自身を愛することもできないのである」

「自己愛をめぐる思想をこのうえなくみごとに要約しているのは、マイスター・エックハルトである。

【もし自分自身を愛するならば、すべての人間を自分と同じように愛している。他人を自分自身よりも愛さないならば、ほんとうの意味で自分自身を愛することはできない。自分を含め、あらゆる人を等しく愛するならば、彼らを一人の人として愛しているのであり、その人は神であると同時に人間である。したがって、自分を愛し、同時に他のすべての人を等しく愛する人は、偉大で、正しい」

「愛するということ」 by エーリッヒ・フロム

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